日野宿発見隊初代事務局長 渡邉生子さんが他界されました。

渡邉生子さん 2021
フルーツ工房・土里夢前で

令和5(2023)年7月2日(日)日野宿発見隊初代事務局長 渡邉生子さんが亡くなりました。72歳の誕生日をもうすぐ迎えるところでした。
平成18(2006)年6月、日野市立日野図書館が地域の皆さんと日野宿発見隊というグループを立ち上げました。そこにはカウンターで利用者を待つだけでなく積極的に地域に飛び出し、今、図書館が何を求められているのかを知ろうとする日々の努力が大切だとの渡邉さんの思いが込められていました。
それからの7年間、生子(本当は「せいこ」と呼ぶところを「なまこ」と呼ばれる)さんは日野図書館の分館長として、皆さんからいただいたアイディアをもとに地域の人たちといっしょに、「こども日野宿発見隊」を皮切りに、「まちかど写真館 in ひの」、「日野駅開業120周年事業」、絵本「ひのっ子日野宿発見」の刊行など、振り返れば、その7年間はまるでマジックを見せられているような実に活気に満ちた取り組みを展開させました。日野宿発見隊の活動が図書館活動と一体化した本当に充実したときでした。いつも笑顔で誰にでも公平に接する生子さんは地域のみなさんから慕われ日野宿発見隊の顔そのものでした。
定年後、生子さんは以前からの夢を追い、お連れ合いと宮城県栗駒市に移住しましたが、新たな土地でも地域の皆さんと共生し第二の人生をまさに謳歌している矢先でした。最愛のお連れ合いに旅立たれた夫の信雄さんたちご家族のみなさんのことを思うと言葉になりませんが、今はただただ生子さんのご冥福をお祈りするばかりです。
最後になりますが、生前大変お世話になった日野宿のみなさんに故人に代り心より御礼申し上げます。

以下の文章は、有限会社三九出版から2019年3月31日に刊行された「本物語」第63号に掲載された渡邉生子さんの文章です。故人が偲ばれるとても素敵な文章です。ここに転載させていただきます。お読みいただければ幸いです。
  「初めての涙の種類 ー東日本大震災 私は忘れないー」 PDF版