「お茶屋の松」の由来と写真あれこれ 第一報

日野市の東光寺地区と八王子市の小宮地区のちょうど市境付近、現在では東光寺から新旭橋を渡って小宮方面に抜ける直線道路が整備されていますが、かつては谷地川を渡ると道は左にそれ、そこから大きく右に弧を描きながら進むと、その道の中程、現在(令和5年)の富士レビオ八王子事業所の南側付近に、「お茶屋の松」といわれる枝ぶりの立派な黒松の大木が昭和50年代初頭までありました。
日野宿発見隊では日野宿の宝「日野用水」とも深く関わりのあるこの松の存在を改めて再認識するとともに、この松の由来と明治期から昭和50年代に撮影された写真を所有者の皆さまのご厚意によりここに紹介するものです。
なお、現在は写真のように富士レビオ八王子事業所の南側の一角に3代目と考えられる松の木が2本大切に育てられています。
以下、日野宿発見隊メンバーの鈴木邦夫氏による調査結果等を参考にまとたものです。ご覧いただいた皆さまでこの「お茶屋の松」について新たな情報や写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら事務局までご一報いただければ幸いです。

  • 『挨拶目録』(元禄 16<1703>年 3月 佐藤信行家所蔵)には「一、永録(禄)十年北条陸奥(守脱)様ゟ隼人罪人をもらゐ、此村之用水を掘せ、茶屋・小家(屋)をひつらゐ百姓之用水を取、当(東)光寺之のみ水ニ成大小之百姓末々迄難有可奉存候、当主計殿松を植候を拙者共見聞申候」とある。
  • 『日野本郷絵図』(寛政2<1790>年 佐藤信行家所蔵)に、上堰用水と「石川川」(谷地川)との交叉点付近に「茶屋松」の表記がある。
  • 『調布日記』(文化6<1804>年 太田南畝<蜀山人>)に「東光寺といえる畑を通れば小き祠あり、鷺大明神として疱瘡の神なり、それより松左右に二もとづつたてる所あり、御茶屋の松という所なり、むかし古木ありて枯れし故、伊奈の県令なりし時に、新たにうえしと云」とある。
  • 『日野本郷絵図』(文政12<1829>年 佐藤信行家所蔵)に、北西部、粟須村との村境に「茶や松」との表記がある。
  • 一説には、かつてここに茶屋があったとか。万願寺の渡しを越え、日野宿を通り抜け、八王子滝山へ通じる古道上にあり、万願寺の一里塚からちょうど一里ほどのところにあることから、一里塚だったとも言われる。<故立川泰司氏談>
  • 『日野町誌』(日野町役場 昭和30<1955>年)の「武蔵七党 日奉氏」の項に、(日奉城址)(お茶屋の松より臨む)との説明あり。中央に「神明森」、左が稲むら、一帯は田んぼ。お茶屋の松は右端に写っている。
  • 『八王子市の文化財』昭和40(1965)年版に八王子市指定の天然記念物として、日野側から撮影されたお茶屋の松が掲載されている。「姿美しい雌松で、目通り幹 囲3m、枝の張り20m余、高さ6m、樹令およそ250年である。日野より市内石川町、小宮町を経て秋留方面に通ずる古代よりの国府道と、南方由木方面に向かう道路との交叉点近くにあり、この松はその道標となり、『落合の松』とも呼ばれるに至った。」とある。<写真⑥>
    なお、昭和39(1964)年7月23日に八王子市の天然記念物に指定されたお茶屋の松だったが、昭和53(1978)年4月27日に指定を解除された。
  • 『日野のあゆみ 市政施行20周年記念写真集』(日野市 昭和58<1983>年11月刊)に、昭和46(1971)年に八王子側から撮影されたお茶屋の松を掲載。<写真⑦>
  • 『小宮町会 五十年のあゆみ』(八王子市小宮町会 私家版)に、昭和52(1977)年に八王子側から撮影されたお茶屋の松を掲載。
  • 『滝山と谷地川を中心とした八王子市加住地区ふるさと風土図いまとむかし』(昭和60<1985>年谷地郷史談会三橋良雄)に東光寺の脇に「おちゃやの松」の表記と松らしき絵が拡大して描かれている。
  • 『市民の写真集 続八王子の今昔-いま見つめたい昭和の八王子-』(揺籃社 平成24<2012>年10月刊)に、小宮町の瀬沼和重氏提供の昭和40年代に日野側から撮影されたお茶屋の松を掲載。解説には「おちゃやの松 人が落ち合うから付いた通称」とある。
  • 『写真アルバム 八王子市の昭和』(いき出版 平成27<2015>年刊)に、昭和53(1978)年に八王子側から撮影されたお茶屋の松を掲載。<写真⑨>

以下、お茶屋の松の写真を所蔵されている皆さんから提供いただいた写真を紹介します。

  • 佐藤彦五郎新選組資料館では明治30年代に日野側から撮影されたお茶屋の松の写真を所蔵。<写真①>
  • 町田市の小島貴計家は昭和11(1936)年に八王子側から撮影されたお茶屋の松の写真を所蔵。<写真②>
  • 日野市郷土資料館では昭和16(1941)年頃 昭和30年代に日野側から撮影されたお茶屋の松の写真を所蔵。「むさしのカメラ歩き・旧日野町編」より<写真③> 令和6年3月6日訂正
  • 北原の松本保志家では父、故松本保氏により昭和26(1951)年に八王子側から撮影されたお茶屋の松の写真を所蔵。<写真④>
  • 下町下河原の鈴木邦夫家では父、故鈴木英夫氏により昭和30年代中頃に八王子側から撮影されたお茶屋の松の写真を所蔵。<写真⑤>
  • 東光寺の奥住はま子家ではご自身により昭和40年代中頃に日野側から撮影されたお茶屋の松とその付近の工場の遠景写真を所蔵。<写真⑧>
写真① お茶屋の松 明治30年代
佐藤彦五郎新選組資料館提供
写真③ お茶屋の松 昭和30年代
日野市郷土資料館提供
写真② お茶屋の松 昭和11(1936)年
小嶋貴計氏提供
写真④ お茶屋の松 昭和26(1951)年
故松本保氏撮影 松本保志氏提供
写真⑤ お茶屋の松 昭和30年代
故鈴木英夫氏撮影 鈴木邦夫氏提供
写真⑥ おちゃやのマツ 
『八王子市の文化財』から転載
写真⑦ お茶屋の松 昭和46(1971)年
『日野のあゆみ』から転載
写真⑧ お茶屋の松遠望 昭和40年代中頃
奥住はま子氏撮影・提供
写真⑨ お茶屋の松 昭和53(1978)年
いき出版提供
日野側から撮影した現在の松
令和5(2023)年9月 須永克彌氏撮影
八王子側から撮影した現在の松
令和5(2023)年9月 須永克彌氏撮影