立川飛行場開設100周年記念 「空の都」たちかわ巡りー立川飛行場東側<番外編> 

令和4(2022)年3月20日(日) 日野市在住の航空ジャーナリスト横川裕一氏を講師に迎え、「空の都」と呼ばれた立川市の戦前史を追うべく、立川飛行場東側を中心にフィールドワークを行いました。残念ながら今回は感染症を考慮し、日野宿発見隊メンバーの内部研修会として開催しました。当日横川さんより資料『立川飛行場開設100周年記念 まち歩き「立川飛行場東側」』の配布がありました。以下の記事はツイッター上に掲載したものをまとめたものです。

 当日辿ったコース
  ①「風に向かって」 作者は銅板造形家の赤川政由氏。
  ②旧飛行第五連隊正門跡
  ③立川小唄記念碑とヒマラヤ杉
  ④街区
  ⑤R-HM
  ⑥グリーンスプリングスからの旧立川飛行場
  ⑦日米友好スズカケノキ
  ⑧旧立川飛行機正門
  ⑨旧石川島飛行機製作所大組立工場
  ⑩旧立川飛行機給水塔と立飛企業発祥の碑
  ⑪多摩モノレール「高松」駅からの旧立川飛行工場
  ⑫多摩モノレールからの旧立川飛行工場
  ⑬旧日立航空機立川工場変電所

①作者は銅板造形家の赤川政由氏。風が強い日はプロペラが回る仕組みになっています。1931(昭和6)年、当時のソ連ハバロフスクから立川飛行場に一機の飛行機が飛来、のちに青森県三沢から太平洋横断無着陸飛行に挑戦、成功させます。機体の名前は「ミス・ビードル号」。少年が持っている飛行機のモチーフ。
②第五連隊の正門は立川飛行場が戦後、米軍基地となった後もそのまま活用されました。公園横の道を挟むようにあるヒマラヤ杉は米軍基地の時代に正門付近に植えられたことから、おおよその位置が分かります。
旧多摩信用金庫本店隣り、立川北口公園にある案内図 現在地に「陸軍飛行第五聨隊正門跡」とあります。1922(大正11)年、帝都・東京の防衛拠点をおくべく立川飛行場が開設。同年11月、岐阜県各務原から移駐してきた部隊がこの第五連隊(移駐当時は飛行第五大隊)です。
③【立川小唄 記念碑】第五連隊正門跡に位置する公園に立川小唄の記念碑があります。「空の都・立川」を後世に伝えようと有志により建立。2017(平成29)年5月に除幕式が行われ、式典には八王子芸者による立川小唄の唄と踊りが披露されました。
立川小唄の制作が計画されたのは1929(昭和4)年にさかのぼります。当時、八王子や青梅、府中などの地元の小唄を作り、宴席で盛んに歌われていたので、飛行場開設以来、急速に発展した立川でも作ろうと機運が持ち上がり、地元の実業家を中心に制作が計画されます。翌年1930(昭和5)年4月10日、当時、高松町3丁目にあった立川キネマで立川芸者を総動員し、立川小唄を披露しました。八王子、青梅、府中の芸者衆も集まり、盛大に行われました。
2020年に立川駅北口に開業したGREEN SPRINGSは第五連隊の格納庫跡に建てられました。公式HPによると街路とホール屋上をまっすぐ繋ぐ、階段状の「カスケード」は、かつてこの地にあった飛行場の“滑走路”をモチーフにしているそうです。それを示すように登った先には…
⑥グリーンスプリングスから旧立川飛行場方面
⑦IKEA立川店の東にある巨大な3本のスズカケノキ(学名はプラタナス)。この場所は戦後、進駐軍に接収された飛行場の敷地内でした。スズカケノキは進駐の翌年に「日米親善のシンボル」として植樹されました。基地返還後、国有地となり再開発に伴い伐採の危機にあいます。
しかし、銅板造形作家の赤川政由さんら市内の芸術家や子どもたちの保存を求める運動により、この地に残りました。昨年には、その保存運動をモチーフにした赤川氏の作品がGREEN SPRINGSの敷地内に設置されました。
⑨東京・月島にあった航空機メーカーの石川島飛行機製作所が昭和5年に立川に全面移転。昭和11年に立川飛行機に商号を変更する。写真は現・立飛リアルエステート南地区の正門。工場時代もこの場所に正門があり、守衛所や門柱は当時の物を利用している可能性がある。
⑩多摩都市モノレール「高松駅」付近から見える白い給水塔も工場時代の建物。昭和13年築の4階建て。同敷地内の建物としては独特なフォルムと存在感で目を引くものがあります。(手前には立飛企業株式会社発祥の地の碑
立川飛行機 立川工場は昭和20年の空襲の被害から免れたこともあり、多くの建物が残されています。その1つ、現在も倉庫として使用されている昭和6年築 石川島製作所の大組立工場は間口55.8m×奥行き37m、624坪の巨大な建物です。ここで多くの飛行機が組立られました。
⑬日立航空機立川工場は東京瓦斯電気工業時代の昭和13年に建設されました。立川工場では飛行機の心臓部分であるエンジンを生産していたため、昭和20年に米軍による3度の空襲に受けます。戦災建造物として保存されている変電所には無数の弾痕が生々しく残っています。
旧日立航空機立川工場変電所は昨年、保存改修工事を終え、戦争を伝える文化財として毎週水・日曜日(年末年始を除く)に公開されています。ガイドによる詳しい説明とともに内部を見学することができます。
今回はボランティアの楢崎さんから説明していただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。