【終了】まち歩き会「日野宿蔵めぐり」(第33弾)

日 時平成23(2011)年6月11日(土) 午前9時30分から12時まで
参加者28名(スタッフ込み)
*参加費は無料です。

平成23(2011)年6月11日(土)の午前中、日野宿内に残る蔵を見学して回りました。

道案内は古民家建築などに造詣の深い建築士の川崎和彦さん。
あいにくの雨模様にもかかわらず28名(スタッフ込み)の参加がありました。

日野図書館に集合
日野図書館に集合

まず、日野図書館内で簡単な説明を受けた後、日野駅前郵便局脇の渡辺家(金子橋)の蔵を訪ねました。

東京都歴史的建造物に指定された渡辺家(金子橋)
東京都歴史的建造物に指定された渡辺家(金子橋)

ご当主の渡辺良勝さんご夫妻から、蔵にまつわるエピソードなどを交えて、蔵の1、2階を案内していただきました。太いケヤキの梁など蔵を支える部材にまず圧倒されてしまいましたが、お輿入れに使われたという長持ちや、歴史を感じさせる調度品の数々にも、非日常的な空気を存分に味わせてもらいました。
この後、建築士の川崎さんから、蔵の構造などについて詳細な説明がありました。

続いて、明日には取り壊されるという小池稔男家(仲町)の蔵を外から見せていただいた後、佐藤元雄家(仲町 屋号「藤屋」)を訪ねました。同家は東隣りの上佐藤家(現佐藤信行家)の分家で、母屋は下佐藤家、現本陣と同時期に建てられたとのこと、その母屋の西隣りに蔵がありました。

扉の前で説明する佐藤元雄さん
扉の前で説明する佐藤元雄さん

扉の開け閉め方法から始まり、幼いころに蔵に閉じ込められたという微笑ましい話、蔵には長男しか入れないという仕来たりなど、ご当主の元雄さんから貴重なお話しを伺いました。白蛇のぬけがらが蔵の守り神として大切に祀られているのにはちょっと驚きました。
なお、今回特別に江戸時代の趣をそのまま残したお庭も見学させていただきました。

次に訪れたのは坂田家の蔵です。十七代目ご当主坂田敏久さんから説明していただきました。
同家は綿の取引に関わる仕事をしていたことから屋号を「綿久」というそうです。 

扉が引き戸式
扉が引き戸式

この後、日野宿の東端にある有山董家の日野銀行跡とされる建物と米蔵を外から見学しました。下の写真は甲州街道に面した有山家前付近を撮った写真(渡辺良勝家所蔵)です。
この当時街道に面して大きな蔵が連なっているのがわかります。

有山家前付近
有山家前付近

予定ではここで終了のはずでしたが、急遽、同行していたカメラマンの井上さんの紹介で、溝呂木家の蔵を見せてもらうことになりました。

現当主の溝呂木さんによれば、明治26(1893)年の日野宿の大火で母屋を焼失した同家でしたが、八王子の千人同心組頭の子孫塩野家から買い取って移築されたという母屋が、現在、小金井の江戸東京たてもの園に保存されているといいます。

蔵そのものの建築年は不明のようですが、歴史を感じさせる、形のとてもよい蔵でした。

通風性を確保するために屋根との間に空間が設けられた蔵
通風性を確保するために屋根との間に空間が設けられた蔵

同家を後にして、一同岐路に着いたのですが、有山家の敷地内に居を構えておられる有山至さんが在宅とわかり、ご挨拶に伺うと、急遽、本家の「上段の間」を見学させていただけることになりました。通常は非公開のところを本当にありがたいことです。

この「上段の間」はかつて本陣のところにあったもので、明治26(1893)年の日野宿の大火のあと、佐藤彦五郎が息子彦吉のために、養子先である有山家に曳き家して移設したものだといいます。本陣にあったときに明治天皇が休憩されたという由緒ある建物です。部屋から見える庭園がまた格別で、ここだけ時が止まったかのようでした。

雨を押しての開催で参加者の方々にはご不便をおかけしましたが、最後にとても素晴らしいご褒美をいただいたようで、開催者としてもホッとしています。

日野宿に残る歴史的建造物も次第に姿を消していく昨今ですが、今回訪ねた蔵がこれからも大切なまちの遺産として残ることを願わずにはいられません。そのためにも、持ち主ばかりに負担を求めるのではなく、公的な支援が必要ではないかと感じました。

この蔵めぐりにご協力いただきました旧家の皆さま本当にありがとうございました。

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